井原良太郎の昔や幼少期はどうだった?経歴などを調査しました!
「井原良太郎の昔の姿が気になる」「幼少期や経歴について詳しく知りたい」と思う方もいるかもしれません。
実は、井原良太郎さんは幼少期から波乱万丈な人生を歩んできました。家庭環境の影響を受けながらも、若くして事業を立ち上げ成功。しかし、そこから大きな挫折を経験し、格闘技の道へ進むという異色の経歴を持っています。
この記事では、井原良太郎さんの幼少期や過去の出来事、経歴について詳しく調査し、その歩んできた道を紹介したいと思います。
井原良太郎の昔の姿とその経歴
井原良太郎の幼少期
井原良太郎さんは1995年10月9日、東京都足立区で生まれました。2歳の時に両親が離婚し、父親に引き取られます。2歳年下の弟とともに生活しましたが、父親は家を空けることが多く、幼少期から弟と支え合いながら育ちました。母親との関係も続いており、たまに会える日を楽しみにしていたといいます。
運動神経が良く、小学生の頃から野球に打ち込み、中学2年生まではクラブチームに所属していました。ピッチャーとして活躍し、目立つ存在だったそうです。しかし、途中で遊びに興味を持ち始め、野球から遠ざかるようになります。髪を金髪に染めたことがきっかけで監督に注意され、そのままチームを辞めてしまいました。その後、遊びにのめり込み、非行に走るようになっていきます。
中学3年生の頃には、7人ほどのグループのリーダーとして活動し、空き巣やひったくりに手を染めるようになります。特に、後輩を使って犯罪を行わせる指示役として関与し、自ら手を下すことは少なかったといいます。車屋や板金屋の金庫を狙うこともあり、防犯カメラに映っていても証拠不十分で何度も乗り切っていたそうです。
中学卒業後は高校には進学せず、父親の仕事を手伝うようになります。
16歳で家を出る
16歳になると家を出て、自分で部屋を借りて生活を始めます。父親の弟の手助けもありましたが、家賃は自分で払いながら自立していたそうです。当時は、父親が関わっていたテキ屋の仕事を手伝ったり、バイクを買って高く売る商売をして生計を立てていました。
16歳の頃には月収50万円ほど稼いでいたといい、バイクを7台所有するなど、金銭的には余裕のある生活を送っていました。ただ、悪いことばかりではなく、商売としてしっかりと収益を上げる仕事もしていたそうです。
井原良太郎さんのこの時期の経験が、後の実業家としての活動につながっていきます。
建築会社や太陽光発電の会社を経営
井原良太郎さんは17歳で親元を離れ、19歳の時に建設業への進出を決意しました。2015年には知人と共に「MRコーポレーション株式会社」を設立し、建設業を本格的にスタートさせます。会社設立からわずか1年で年商1億円を達成し、急成長を遂げました。
しかし、会社の急拡大に伴い人件費が膨らみ、さらに新型コロナウイルスの影響で業績が悪化。結果として、約3000万円の借金を抱えることになりました。また、従業員への賃金支払いを巡り共同創業者と対立し、会社を離れることになります。その後、再び起業を決意し、太陽光発電関連の会社を立ち上げます。
元の会社から10人ほどを引き抜き、新たなビジネスを展開。1年目で年商2億円を達成するなど順調に成長しました。しかし、資材不足の影響を受け、事業が停滞。最終的に経営が行き詰まり、再び経済的な困難に直面することになりました。井原さんはこれらの経験を経て、新たな道を模索することになります。
格闘技に目覚めたきっかけ
経営者としての困難を経験した井原良太郎さんは、新たな挑戦として格闘技の道へ進むことを決意します。本格的に格闘技と関わるきっかけとなったのは、25歳の時に総合格闘技ジム「BRAVE GYM」へ入門したことでした。自身の実力を試すために格闘技を始めたものの、当初は練習が過酷で続かず、あまり通うことはなかったといいます。
しかし、アマチュア大会に出場すると、持ち前の運動能力を活かし3戦3勝という成績を収めました。正確な入門時期は不明ですが、2021年頃にはアマチュア総合格闘技の大会に出場しており、2020年~2021年頃から本格的に格闘技を始めたと考えられます。
経営者としての成功と挫折を経験し、格闘技という新たなフィールドに挑戦した井原さん。現在はブレイキングダウンで活躍し、格闘家としての知名度を高めています。
ブレイキングダウン出場のきっかけ
井原良太郎さんは、一度格闘技から離れましたが、その後YouTuberのヒカルが主催する「下剋上」や「バトルミリオネア」などの番組に出演するようになります。これをきっかけに、格闘技イベント「ブレイキングダウン」への話が持ち上がりました。
ちょうどその頃、ブレイキングダウンの対抗戦で選手を探していた樋口武大選手が、RIZINファイターの武田光司選手に相談。その際に紹介されたのが井原良太郎さんでした。武田選手からの推薦を受け、井原さんはブレイキングダウンへ出場することが決定しました。
ブレイキングダウンでは初代バンタム級王者として活躍し、その強さと喧嘩スタイルが注目を集めます。試合での圧倒的なパフォーマンスだけでなく、過去の経験を語るキャラクター性も人気を博し、一気に知名度を高めました。
ガッツチャンネルで井原の昔の詐欺行為が暴露される
2024年6月7日、YouTubeチャンネル「ガッツチャンネル」の中島連さんが、井原良太郎さんの過去の詐欺行為について暴露しました。ブレイキングダウン12で勝利し、チャンピオンとなった井原さんですが、過去に投資詐欺や詐欺行為を行っていたという告発がなされました。
被害者の証言によると、井原さんは「ハッピー正福岡」というインフルエンサーの知人から総額180万円を搾取。投資詐欺で70万円、詐欺行為で50万円、さらに借金60万円が未返済で、合計約130万円の未払いがあるとされています。この影響で被害者は消費者金融や友人、家族から借金をし、経済的に追い詰められたとされています。
この件をきっかけに、「街録チャンネル」に出演していた井原さんの動画は非公開となりました。その後、「常民チャンネル」に出演し、過去のエピソードや足立区と葛飾区での喧嘩エピソードなどを語りました。さらに、井原さんはSNSで「過去は変えられないが未来は変えられると思っている」と発言し、現在の姿を見てもらいたいと述べています。
井原良太郎の戦績
井原良太郎さんの格闘技戦績は以下の通りです。
– **総試合数:** 8試合
– **勝利:** 7勝 (KO・判定含む)
– **敗北:** 1敗
– **引き分け・無効試合:** 0
ブレイキングダウンを中心に活躍し、その実力が評価されています。
井原良太郎と平本蓮の関係
井原良太郎さんと平本蓮さんの関係は、過去に足立区と葛飾区での喧嘩の場で出会ったことに端を発します。井原さんの後輩が平本蓮さんを連れてきたことがきっかけで知り合いました。当時、平本さんは15歳~16歳で、K-1に参戦する前の若手格闘家でした。
井原さんは、その場で「今度俺とやろうよ、グローブつけてやろうよ」と挑発しましたが、実際に戦うことはなかったそうです。その後、K-1の試合を観戦するようになり、平本さんの試合も現地で応援していました。特に、ゴンナパー戦は現場で観戦したといいます。
しかし、二人は親しい関係ではなく、K-1の会場で会えば挨拶する程度の間柄だったようです。そのため、平本さんがSNSで井原さんに絡まないのも、過去の関係性が影響している可能性があるとされています。
井原良太郎とジャングルポケットおたけとの関係
井原良太郎さんは、YouTuberヒカルさんの番組に出演した際に、ジャングルポケットのメンバー・おたけさんとつながりのある人物と知り合いました。その縁を通じて、おたけさんから飲食店の仕事を誘われることになります。
ちょうどその頃、おたけさんが経営する「もんじゃ竹の子」がリニューアルのタイミングを迎えており、「一緒に新たにやっていかないか?」と声をかけられました。その時期、井原さんは仕事を辞めたばかりで、新しいことに挑戦したい気持ちがあったため、バイトを始めることを決意しました。
もともと学ぶ意欲が強く、「やったことのないことを経験してみたい」という気持ちが動機となり、飲食業の仕事に飛び込みました。ブレイキングダウンの格闘家として活躍する一方で、飲食店の仕事を経験することで新たなスキルを得ることを目指していたようです。現在も「もんじゃ竹の子」で働きながら、格闘技のキャリアを積んでいます。
井原良太郎の昔の経歴のまとめ
井原良太郎さんの昔の経歴は、やはり大変時期を乗り越えてましたね。
幼少期は家庭環境が厳しく、中学時代には非行に走るものの、16歳で独立し、商才を発揮して生計を立てました。
19歳で建築会社を設立し、短期間で成功を収めましたが、経営の難しさから多額の借金を背負うことになります。
その後、格闘技の道に進み、ブレイキングダウンで実力を証明しました。さらに、ジャングルポケットおたけさんのもんじゃ焼き店で働くなど、新たな挑戦を続けています。
彼の生き様は、困難を乗り越えながら成長を続ける姿勢そのものであり、今後の活躍にも注目が集まります。